さくらいふ

28歳女ひとり、インドと日本の狭間で

インド留学(初回)のいきさつ①

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インドネシアの海

 

今回は、私がなぜ大学に入る前にインド留学したのかについてお話ししたい。

 

今では自他共に認める半インド人だけど、高3の秋、進路に悩む私にはインドなんて全く興味がなかった。(進路決めるの遅)

日本の大学は色々調べていたが、当時の私が興味を持てる所はなかった。3人の兄のうち一人がアメリカの大学に行ったこともあり、私も漠然と海外の大学へと考えていた。

 

高3の夏休み、バンクーバーで大学教授をしている父の友人が、1ヶ月の英語留学に招待してくれた。バンクーバーは、世界で最も住みやすい街に選ばれたり、自然と共存する街みたいな噂を聞いていて私の期待は高かったのだが、何かピンと来なかった。

結局、日本とほとんど同じやん!と思った。巨大スーパーがあり、カフェがあり、バスもメトロも発達してて、生活レベルが日本の都会と同じ。自然もそんなに無いし。つまらないなあ、と思った。人と人とのふれあいも少ない。今考えると、そんなん当たり前やん、バンクーバーに何を求めていたの?て思う…笑

 

帰国後、ピンと来ない気持ちを抱えながらも、バンクーバーのUBCという大学の留学生用奨学金を目指してTOEFLの勉強と、書類作成を始めた私。UBCの求めるスコアはibt90点以上。数ヶ月で何度も受けたが、84点までしか届かなかった。(準備始めるの遅すぎな)

 

締め切りに間に合わず、進路未定のまま高校を卒業した。

初めての肩書なしフリーター生活。世界一周しようかとか、ケニアのスラムに行こうかと考えたり、血迷っていた。焦っていた。とりあえず貯金しようとバイトを始め、数ヶ月が過ぎて夏が来た。

 

東京に住む兄の3ヶ月の海外出張中、部屋を借りて東京でバイトしていた。昼間はパスタ屋で、夕方からホテルで働き、一日一万稼いでいたあの頃の若かった私。渋谷でカットモデルに誘われ、表参道でおしゃれパーマかけてもらったあの頃。

 

そんなある日、国際協力系のメルマガで興味深い募集を発見した。地球環境基金主催の、途上国の環境保全活動に関心がある人のための人材育成を目的とした、研修旅行in インドネシア。3週間で、自己負担は5万円ぽっきりだった。

インドネシアは良かった。

ご飯はナシゴレンしか無かったけど(こらこら)、手付かずの自然や、人間味があって瞳の綺麗な人々。ガッタガタ、くねくねの道を頭をぶつけながら何時間もかけてたどり着いた山上の村には、人々がたくさん住んでいた。子どももいっぱいいた。

朝の静けさの中に鳴り響くコーラン。村のご飯でお腹を壊して、熱中症で倒れた。無人島で、1人につき桶2杯の雨水でシャワーした。イケメンも多かった。(タイ、カンボ、ベトナムラオスの中ではダントツ)

 

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写真:村長に物資を渡すか渡されているかの私

 

アジアいいやん。アジアの方が好きやわ~。という思いと共に帰って来た。(環境保全や国際協力についても様々な学びがあったけどここでは割愛)

 

帰国後、アジアの大学情報を調べ、英語が通じるし、教育レベルもまあまあ高いのでインドがいいのでは…?と考えた。

母親「面白そうやん!」

父親(若い時インド放浪していた)「合う合わないもあるから、とりあえず見てこい」

すぐにチケットを取り、インドへ3週間下見の旅へ出発した。

19の冬だった。

 

続く。