さくらいふ

28歳女ひとり、インドと日本の狭間で

2度目の出発

人生2度目のインド留学出発まで、あと1週間ちょい。

私にとって、正直もう「留学」という感覚はない。
留学というか進学。

やっとインドに帰れるなあ、長かったなあここまで、と思う。
年2回ペースでインドに行ってはいるけど、旅と住むのは全然違う。

 

5年前の今頃、私は10ヶ月間のバラナシ留学から帰って来た。
もっとインドに居たかった。でも、色々な方向性を見失ってもいた。
このままここでヒンディーの勉強を続けても仕方ない。

親には一度日本に帰って来て冷静になれ、と言われた。

帰国して、地元で留学前に働いていたバイト先ですぐに働き始めた。

全ての時が止まったような感覚。

インドにいたことが嘘のように、村で何の刺激もないぬるま湯のような暮らしに逆戻り。(村在住なんです)

夢も目標も、何も見えなかった。

またインドに帰りたい、その一心で現地就職なども考えた。
しかし長い目で見て、インドで働くには大学を出ていた方がいいということに気づき、やっと大学に入ることを決めた。

神戸で過ごした4年。

最初の1年は苦難の時だった。

大学の授業もつまらなくて、初めての一人暮らしで気も張っていた。週5で授業の直前までバイトして、夜間の授業に向かって、帰宅して寝る日々の繰り返し。
ただただ、1週間が、1ヶ月が早く過ぎていくのを願っていた。

休みが来たらインドに行こう、

それだけを支えに生きていた。

大学を辞めることも真剣に考えた。

しかし2年目からは、嘘のようにこの生活も悪くない、と思えるようになった。

平凡な生活のしあわせを知った。毎日が平和に過ぎるこの生活も悪くないなあ、と。

それからはあっとゆう間だった。

3年目からは政治カフェを立ち上げたり、自分のインドでの経験を周りにシェアしたり、自分の殻の中にこもっていた状態から抜け出せた。

 

最初のインド留学ではデング熱で倒れたり、いろんな人と喧嘩もしたし、家族ともぶつかったし、急速に逞しくなることを、図太くなることを求められて、今思うといっぱいいっぱいだったのかもしれない。


神戸での平凡な4年間で、私は少しずつ色々な気持ちを、思い出を整理できた。
また前を向いて、目標に向かって歩き出せるようになった。

 

今また向こうでの生活が5年ぶりに始まろうとしている。

ムンバイという見知らぬ土地で。
まだ見ぬ人々とともに。


ありがたい。

心配しながらも、いつも応援してくれる家族や友人、困った時いつも手を差し伸べてくれるインド留学経験者、インド在住日本人の方々。

みなさまのおかげで、ずっと行きたかった学校で学びたかった事を学ぶことができます。


これからも、頼らせてください。
一生懸命がんばるので。

 

 

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