さくらいふ

28歳女ひとり、インドと日本の狭間で

アラサー女子、新卒入社した会社を1年で辞めました

ナマステ!

桜も散って、すっかり春本番ですね。

うららかな日が差し込み、若葉たちが光り輝くこの春、私は会社を退職した。

 

高校を卒業して3年間フリーターをしたのちに大学へ行き、インドの大学院を卒業して、去年27歳にしてやっと社会人生活を始めた。

新卒入社したボーダレス・ジャパンは国内外で40ほどのソーシャルビジネスを行う会社で、私は「新卒起業家採用」という、社会起業家になるための枠で入社した。

10代の時に訪れたインドで目の当たりにした児童労働。

働く子どもたちの光を失った瞳。自分にできることを追い求めて現地の大学院まで行った。

 

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子どもたちが働かなくていいように、親に安定した雇用を生み出す事業をインドで立ち上げようと思い入社した。

この1年は、新入社員5人で1つの事業を実際に起業し、経営するという「起業体験」の中でビジネスのノウハウを学ばせてもらった。

社会起業はやはり、すごく難しくて大変な道のりだった。

 ただ売れるだけのサービスでは意味がなく、利益を上げることが社会問題の影響を受けている対象者の状況を良くすることに直結していなければいけない。

ビジネスモデルを考えて、コストを計算して、顧客層にヒアリングして、営業して、これではダメだと分かりまたモデルを考え直す。その工程を何度も何度も何度もやり直した。

先の見えない真っ暗なトンネルを手探りで歩いているみたいだった。

そんな風に5ヶ月間が過ぎ、私たちはようやく対象者の状況を良くしながら利益も出せるビジネスモデルを確立させ、事業を本格的に経営していくフェーズに入った。

それからの仕事量は一気に増え、睡眠時間を削って何とかその日のタスクを終わらせる日も多かった。

順調にお客さんが増え、1年を終える頃には事業をかなり軌道に乗せることができた。

 

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共に事業を立ち上げた同期4人と

 

この一連の工程の中で、私は何度も「自分は本当に起業するのだろうか?」と考えた。

そしていつしか、インドで起業する自分を想像しても、ワクワクしない自分がいることに気づいた。

いつの間にか、「やりたい」という気持ちが「やらなきゃ」にすり替わっていた。

使命感というと聞こえはいいけど、それは義務感とも紙一重だった。

思えば、この義務感のような気持ちは会社に入ってから始まったものではなかった。

もういつからか思い出せないほど前からずっと、「インドの子どもたちのために何かできる自分にならなくてはいけない」

「1日でも早く結果を出さなくてはいけない」そんな"should"で知らず知らずのうちに自分を縛り付けていた。

"should"ではもう頑張れない自分がいることにも気づいた。

この1年、日本で生活していて、インドのニュースをほぼ全く見てこなかった。

意図的に見ないようにしていた。コロナの影響で貧困層の生活がより困窮して、働く子どもたちの数は増えているのは明らかだったから。

今すぐ自分にどうにもできない問題を、これ以上知りたくなかった。考えたくなかった。

家から一歩外に出れば子どもが裸足で物を売っているような環境から物理的に離れて、正直、気持ちが楽だった。

本当はインドなんてもうお腹いっぱい、と思う時もある。

大気汚染はひどいし、月に一度は下痢するし、道歩いてるだけでジロジロ見られるし、物事は全然スムーズに進まないし、辛くて油っこい物しかないし。

 

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でもインドで出会った子どもたちのことは忘れられない。

 学校に行きたいけど親が許さなくて行けない、スラムの聡明な子。

暑い日に道端で座り込んでいたティッシュ売りの子。

電車でアクセサリーを売る、大人のような冷めた瞳をした子。

 

そんなある日、近所のお寺でこの張り紙を見た。

 

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これを読んだ時、胸がグワァーンと揺さぶられた。

「心惹かれること」この一言を見てすぐに思い浮かんだのはたった一つ、

インドの子どもたちの笑顔だった。

 

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「起業」という形でなくても、どんな形でもいいからインドの子どもたちのために何かしたい、そう思った。

そして、会社を辞めてまっさらな所から、自分がどういう形で活動していきたいのか、改めて考え直すことにした。

今後の人生は、"should"ではなく"want"で動けるように。

 

起業しないことと会社を辞めることを伝えた時、社長はじめ会社の人たちは私の決断を祝福してくれた。

「社会にいいインパクトを与えるのは色んな方法があって、起業は一つの方法でしかない。自分に合ったやり方でやればいいよ」とみんな言った。

お金をかけて社会起業家として育ててもらったのに辞めることに対して申し訳なさや後ろめたさがあったものの、彼らの曇りなき応援の気持ちに接して、そんなこと誰も気にしていないんだとわかった。

そして社長は、「インドに行っても、また相談して。もしうちでやりたくなったらいつでも戻っておいで」と言ってくれた。

本当に懐の深い会社だと思う。

ホームレスの人々や、難民、技能実習生、途上国の農民など、
自分が支えたいと思う人々のために全力でひたむきに働く、同僚や先輩達に出会えたことはとても大きかった。

ここで働けてよかったなと心から思う。

感謝の思いの分、私も私なりの方法でがんばりたい。

コロナ前後で子どもたちを取り巻く状況も変わっているはずなので、インドの観光ビザが復活したらインドに戻って、いったん現地の様子を見に行こうと思う。
個人活動家として活動するのか、NPOを設立するのかなど、追い追い考えたい。

そして、日本の若者が自分に合った生き方を選べる手助けになるような本を書く。

新卒1年目で会社を辞めること、
今年29歳になるけどまたスタート地点に立つこと、
しばらく無収入になること、
不安がないといえば嘘になる。

でも今、自分にワクワクしている。


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