人生のブランクについて
ナマステ〜
このブログでは、インドに来てからのことをメインに書いているので、たまには過去のことを振り返ってみようと思う。
私は村生まれ、村育ちのど田舎、というより秘境の人間だ。
実家のある和歌山の村は、人口400人ちょい。
奈良県と三重県の県境に位置するが和歌山に属する、日本で唯一の飛び地。
そんな私は真面目に学校へ通い、そこそこの成績をキープしつつ、青少年赤十字と英会話の部活を掛け持ちし、アクティブに過ごしながら高校3年を迎えた。
高校在籍中にパラオやカナダに行き、また学内外で積極的にパラオの海面上昇の問題などについて発表していたこともあり、いつのまにか同級生達から「世界のハラ」と呼ばれるようにもなっていた。笑
カナダの大学に進学したくて、奨学金など探すが競争率も高く断念。
そして何も進路が決まっていないまま高校を卒業した。
村の温泉のレストランで、アルバイトをしながら進路を模索する日々。
初めて、自分の肩書きがなくなった。
小学生から高校までずっと優等生として、周りに褒められて育ってきた。
そんな自分が、一気に「フリーター」になってしまった。
高校の元同級生達はみな、大学に入りサークルに恋愛にときめく日々。
そんな彼らと自分を比べ、本当にこれで良かったのだろうか、
推薦入試で筑波大学に入っておけば良かったんじゃないか、
もやもやした。
しかしその後私は神戸の大学に入るまで、実に3年間もフリーターを経験した。
途中で10ヶ月間のヒンディー語留学に行き、その前後はアルバイト。
村で飼い犬とたわむれる18の春
馬車馬のように働き、村の安い時給なのに20万を稼いだ月もあった。
東京で生パスタのお店と品川プリンスホテルでウエイトレスしたり、さびれた温泉街に住み込みで働きにも行った。
今でも、自分と同い年の人が仕事で成功していたり、起業していたりするのを見ると、自分はなぜ3年間もギャップイヤーを取ってしまったのだろうか?と思う時はある。
19歳、夏(表参道でカットモデルしたからちょっと髪型おしゃれになった)
しかし、もしストレートでカナダの大学に行っていたら、もし高卒で就職していたら、インドには一生来なかったかもしれない。
高卒で温泉でアルバイトしていた私には、自分が大学院まで行くことなんて想像もできなかった。
しかし今自分は確かに修士課程をあと数ヶ月で卒業しようとしていて、博士課程だって望めばいつか取れるとさえ思う。
それより何より、あの3年間、「何の肩書きも所属もない自分」に初めて対峙して、悩んで悩んで自分と葛藤して、誰にも流されず、自分で人生を選択していくことを覚えた日々は私の大事な根幹となっている。
そして、もしエリート的にスムーズに生きてきたらけして出会うことのなかった人々や見ることのなかった景色に数多く出会った。
人生にブランクはあっていいと思う。