さくらいふ

28歳女ひとり、インドと日本の狭間で

インド留学(初回)のいきさつ②

インドへ3週間の下見へ

 

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初めてのバックパックに興奮する19の私(今では断然コロコロ派)

 

初めての海外一人旅。しかもインド。

出発の日が近づくにつれ感じたことのない不安が押し寄せて来た。地球の歩き方には、盗難や詐欺、睡眠薬強盗などのトラブル体験談がびっしり。

大学の下見は二の次で、生きて帰ってこれれば万々歳だな、と思いながら出発した。

 

留学なら、とりあえず大都市だな…と考えデリー、チェンナイ、ムンバイを周る航空券を取っていた私。

デリーでは当時日本大使館に勤めていた友人のお宅に数泊させてもらい、手厚いサポートを受け順調な滑り出しだった。友人が仕事へ行っている間、どこか外出しなければ、と思いつつも外の世界に出るのがこわくてベッドにこもっていた初日。

言葉も文化もわからないこの国で、私はまるで赤ん坊だと思った。赤ん坊からスタートだな、少しずつできることを増やしていこう、と心に決めた。

 

事前に連絡を取って、デリーの大学院で学ぶ日本人学生達の話を聞きに行った。

彼らが連れて行ってくれたのはデリーのチベット人居住区。何だかよく分からないけどものすごく美味しい鍋をご馳走になった。3人の学生たちは皆、「大学は日本の大学に行った方がいいと思う。院からこっちに来たらいいんじゃないかな」というアドバイスをくれた。

そしてデリー大学(日本でいう東大かな)の図書館や彼らの住む寮を見学。

私の心境①:「えっ、これ大学の図書館??狭いしジメジメしてるし古い本しか無いやん!」

私の心境②:「えっ、この部屋に住んでるの?せ、せま…床がない….土間やん」

主に案内してくれたSさんは、洪水で大学が浸水して大変だった話とか、一日勉強した後に飲むチャイは美味しいよとか、すごくためになる話をしてくれた。 

彼らの話を聞き、インドを自分の目で見てやっぱりここは勉強するところじゃないかもな…と思い始めた私。

 

デリーでのやるべきことを終え、思いつきでヒンドゥー教の聖地であるバラナシに2泊の観光に行くことにした。この思いつきが今後の人生を大きく変えることになるとはつゆ知らず。

 

バラナシは、聖地といえども昔からの観光地。客引きは英語、日本語、韓国語、スペイン語など多様に話し、日本人と見るとしつこく付きまとってくる。当時の私はおのぼりさんだったので、色んな人に話しかけられ、その度にこの人はいい人なんだろうか…悪い人なんだろうか…と頭を悩ませた。(今はもう、目を見ただけでその人の大体の思惑がわかるようになったけど。そもそも、オーラが観光客じゃなくなったのか客引きに全然話しかけられなくなった。)

でもそんなしつこい人々も含めて、バラナシはなぜかすごく印象に残った。

 

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インドで初めて泊まった宿(私のためにあつらえたかのようなラブリーなお部屋)

 

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バラナシで食べたインスタ映えラッシー

 

その後チェンナイに移動するも、バラナシに帰りたい!という思いがふつふつと湧いて来て、それはもう無視することができなかった。チェンナイ→ムンバイの航空券も棒に振ってバラナシへ戻り、残りの滞在を全てバラナシで過ごした。火葬場で燃えゆく人を眺めたり、無数に巡らされた迷路のような小道をどこまでも気のゆくままに歩いたり、たくさんのインド人と出会い、チャイをおごってもらい、話をした。ぼったくられそうになったり、ケンカもした。

 

最終目的地ムンバイに着き、タクシーで市内に向かっていた夜のこと。

もし今運転手が悪い人だったら、どこに連れてかれるかわかんないなあ…なんてことをぼーっと思いながら夜の街を眺めていた。その時ふっと思った。

「もう私は誰とも比較できないところまで来たな…」

進路が白紙のまま高校卒業し、元同級生たちが楽しいキャンパスライフに胸躍らせ、彼氏ができただの報告してくる中、漠然とした不安と焦りと戦いながら一人黙々とバイトしていた自分。

「今、わたしはインドにいる。たった一人で。もう周りと比べるのはやめよう。やりたいことも人生の目的も違う。比べることに意味がないんだ…」

高校卒業後、1年近くが経過していたが、初めて楽になった瞬間だった。今も人と比べて落ち込みそうになるとこの時の自分を思い出す。

 

ひとつらなりの航空券の一部をキャンセルしたがために、全ての行程がキャンセル扱いになってしまい、帰国日にムンバイ空港で「あなたはこの飛行機乗れません」と言われて途方に暮れるハプニングもあったけど、数日後何とか無事に日本に帰って来た。 

帰国してからの私は、俗にいう「インド病」を発症していた。寝ても覚めても、「バラナシにもう一度行きたい」そればかり考えていた。何かに取り憑かれたかのように。

 

3ヶ月後、私は再びバラナシの地に降り立っていた。どうしても決心がつかなかったので、「2度目の下見」という目的のもとに。(2度も留学の下見する人とか聞いたことない)

ガンジス川のほとりで出会った見知らぬ日本人旅行者(北海道在住・自然農業で食って行きたいピースフルなお兄さん)とご飯に行き、ことのいきさつを話すと、「もうここまで2回も来てるってことは、絶対そうゆう運命なんだよ!迷う理由がないじゃん!!」と背中を押され、腹をくくった私。

インドの大学は3年間なのだが、いきなり3年もインド人にまみれて勉強する自信は無かったので、Banaras Hindu Universityという国立大学の9ヶ月間のヒンディー語コースに入ることを決め、現地で入学申請などを終え帰路についた。

 

とまあこんないきさつでインド留学に至ったのです。

長いのに読んでくれてありがとうございます。

次回からは留学中のあれこれを振り返りたいと思います!