さくらいふ

28歳女ひとり、インドと日本の狭間で

ヒンディー語の習得について

私が通っていたBanaras Hindu Universityはインドの中でもまあまあ名の通った国立大学だ。でも、外国人しか生徒のいないパートタイムのヒンディー語コース(初級)は、お世辞にもちゃんとしてるとは言えなかった。まず、先生が来ない。

週4日、コマの授業だったけど、来ない先生は毎回来なかった。片道30分、トゥクトゥクやバイク、車や牛が行き交う喧騒の中を自転車漕いで、「はい、今日も先生来ないね~帰ろうか~」って。

授業があっても、古臭いテキストを延々とこなしていくだけで、あまり参考にならなかった。

 

私は早々に悟った。ここはヒンディー語を教えてくれる所じゃない。学生ビザを提供してくれるだけ。ヒンディーを習得したければ、自分でがんばるしかない、と。

ヒンディー語の参考書を買い一人で勉強したり、日々の生活の中でチャイ屋の親父や八百屋の親父と話したり、周りのインド人たちの話を聞いて、耳から覚えていくしかない。

だから、私が耳で覚えたヒンディー語は主におっさん達の使うバラナシ方言で、「標準語ではこうだな」と頭で置き換えたりしながら使わなくてはならない。

テキストに出てくるような文法は誰も使わないけど、私が崩れたヒンディーを使うと逐一直してくるインド人たち。笑

 

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 チャイとサモサ(甘くないパイ)浸して食べる。最高。

 

とは言っても、留学中私は全然がんばらなかった。バラナシはのんびりした街だ。日本みたいに一分一秒と戦って仕事や勉強に励んでる人が周りにいないし、観光地なのでみんな英語をある程度話せる。つい英語を使ってしまうし、向こうも英語で話してくるし、うまく話せないヒンディー語をあえて使うのが恥ずかしい、という自分になかなか勝てなかった。

インドに通い詰めて7年だが、ヒンディーを恥じらいなく使えるようになったのはここ1、2年のことだ。最近はたまにヒンディー語で夢を見るようになった。

 

よく言語は性格を変える、みたいなことをいうよね。例えば、英語を話してる時の私はもっとオープンになるの、みたいな。

私はヒンディーを話してる時はおっさんみたいな性格になる。嫌な時は遠慮なく断るし、割とサバサバしたかんじ。おっさん達から習得したからだろうか。

 

私のヒンディーはまだまだ語彙も圧倒的に足りていないし、ちょっとした日常会話、旅に必要な会話の域を出ていない。大学院では、週2日のフィールドワークがあるので、もっとちゃんと話せるようにならなくては。

 

外国語大学で英語を専攻していた時はよく、「へ~、英語好きなんだね」みたいに初対面の人から言われて、「英語はツールであって好き嫌いの範疇ではない」と内心思ったりしていた。

でも、ヒンディーは好きだ。発音が好き、言葉の響きがいい。うっとりしてしまうような響きや、シンプルでかわいい音の言葉がたくさんあるし、なんだか懐かしい気持ちになる。神戸の街ですれ違ったインド人がヒンディー話してるのを聞いたりして、郷愁に涙がにじみそうになったりしていた。笑

 

私のすきなヒンディー語の例

ジンダギー (人生)

パニ (水)

チャビ (鍵)

ピヨ (飲め)

チプカリー (とかげ)

チュブラホ (Shut up)

 

ヒンディーの歌もすごくいいので、意味はわからなくてもいつも聞いている。

よく、日本で「好きなアーティストは?」という話題になった時、インドの歌しか聞いてないので答えに困る。

 

最近すきな歌。

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次回は留学中の人間関係(人づき合い)について書きます!