さくらいふ

28歳女ひとり、インドと日本の狭間で

最初の1週間

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大学院の寮からの景色。ジャングル。

 

ムンバイへ着いて、1週間が過ぎた。着いてからもちろん一人も日本人に会っていないので、すでに日本語の表現がおぼつかなくなっているが、大目に見ていただきたい。

 

1週間前、両親と大学の友達に見送られて関空の出発ゲートへと入っていった。涙ぐむ両親を背後に感じながら、無機質な空港の通路を歩いて行くとき、「ああ一人だな。一人で行くんだな」と思った。

 

ムンバイのインド人はなんとゆうかまあ都会的で、さっぱりしていて、英語を話せる人が多く、ヒンディー語で話しかけても英語で返されることがしばしば(悲しい)。バラナシのインド人が大阪の下町の住人だとすると、ムンバイ人は東京都民てかんじだろうか。

私のインド好きを知っている人々はみな、私がインドに帰ってこれて意気揚々としているだろうと思っているかもしれないが、今の所ムンバイは私にとって日本とそんなに変わりない。超アウェー。車は多いし、人々は忙しいし、小洒落た店やファーストフードがたくさんあるし、チャイ屋は少ないし。ここには私の知ってる「インド」はない。

そんなことは百も承知でここまで来た。だから別にどうってことない。

でもムンバイもそんなに悪くないなと思える日が遠からず来るんじゃないかなとは思う。

 

さて、大学院生活は一応始まったわけだが、昨日までは留学生向けのオリエンテーションだった。留学生といっても、正規の留学生は私とミャンマー2人、ネパール2人、バングラデシュ1人のみで、後は海外生まれインド育ちのインド人が4人だけ。

顔が似ていて境遇も同じミャンマー人男子2人とは、まるで昔から知っているかのように一瞬にして打ち解けた。彼らののんびりしてマイペンライ的な雰囲気は、緊張していた私の心をほぐしてくれた。

 

この1週間は主に部屋探しに奔走していた。ブローカー(日本でいう不動産屋的存在)に部屋を紹介してもらうと1ヶ月分の家賃を払わなくてはいけないので、最初は何とか自分で探そうとしていた。学校からもらった物件リストをしらみつぶしに電話するも、大抵の部屋がすでに埋まっていた。自分の足で何軒か見に行き、見るだけはタダなのでその後はブローカーと沢山の部屋を見た。

ムンバイは土地が高いし都会なので、狭くて、息苦しい部屋が多かった。他の留学生やインド人が即決で部屋を決めていく中、私は踏ん切りがつかずに20件くらいの部屋を見た。

そして今日ついに部屋を決めた。大学院から徒歩圏内の、平屋建て。一階だから治安や湿気を懸念していたが、先月まで同じ部屋に住んでいた学生とたまたま遭遇し話したが問題なさそう。塀もあるし。何よりここが魅力的だったのは、自分だけのトイレとシャワーが部屋にあること、庭とテラスがあって、息苦しくないことだ。

そして大家さんがいい人。数々の物件を巡ったので沢山の大家と話したが、ここの大家さんは全然がめつくないし、親切だ。考える時間を与えてくれ、家賃交渉にも応じてくれ、当初より6000円安くなった。今日も、私が新しいベッドのマットレスを買いに行くと話すと、「綿のやつなら無料で新しいのと交換するけど、どうしたい?」とわざわざ電話してきてくれた。

他の2部屋には同じ大学院の学生が4人住むことになる。そのうちの2人とは今日会ったが、親切で頭のいいふたりだった。コルカタから来たちょっとぽっちゃりの子は、なぜか日本食に詳しく、Did you bring Sake and Mirin??…. Oh, why you didn’t bring!?と残念がられた。まさか「みりん」というワードをここで聞くとは思わなかった。
もう2人は北東インド出身らしいので、日本人と同じような顔立ちだろう。きっと仲良くやっていけるだろう。

 

明日からはいよいよ授業が始まる。病欠以外は100%の出席が不可欠らしい。クラスメートは狭き門をくぐり抜けて来たインドの秀才達だし、やっていけるのだろうか

まあできない自分はできないなりにできることをやっていこう。